大判例

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大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)1750号 判決 1971年8月31日

控訴人

田中與三郎

被控訴人

小谷スエ

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、

被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、左記の点を附加するほか原判決事実摘示のとおり(但し原判決二枚目裏四行目の「大髄骨折」を「大腿骨折」と訂正し、同三枚目裏三行目の「違反」を削り四枚目裏九行目の次に、次行として、「四、損害賠償請求の根拠、1自賠法三条、2民法七一五条、3民法七〇九条」を加え、五枚目裏一行目の「パンク業」の「業」を削り、同四行目の「救命傷」を「致命傷」と訂正し、同六枚目表終りから四行目の「援用」の次に、「検甲第一号証は、北野武雄撮影の事故現場の写真、検甲第二号証は、昭和四〇年六月二四日、司法警察官作成の事故現場附近の写真、検甲第三号証乃至第七号証は昭和四三年二月二八日、北野武雄撮影の写真で、その中第三号証は藤井寺市岡一一四二田仲商店所有の積載量七・二五〇屯のダンプカーと橋本市砂利採取場、その中第四号証は、右ダンプと紀見峠附近、その中第五号証は右ダンプと国道一七〇号線、その中第六号証は右ダンプと走行距離メーター(三五・四粁)、その中第七号証は同上(三六・八粁)の写真である。検甲第八号証の一、二は各昭文社の道路地図である。」と加え、同末行の「証言援用」の次に「検乙第一号証の一、二は昭和四〇年六月二四日田中博史撮影の本件被害車の写真、検乙第一号証の三は同日、同人撮影の本件ダンプの写真検甲第二号証の一、二は同月二五日、同人撮影の本件被害車と同型車の写真である。」と加える。)であるから、これを引用する。

(控訴代理人の主張)

本件事故の原因は、原告(被控訴人)車が、被告(控訴人)車との対向時点において、突然左側のネジが外れて右傾しながら走行し、前輪シヤフトが折れたために、道路中央線を越え、対向車線に侵入したことに因るものである(従前主張を右の通り訂正)。被告(控訴人)の車の運転手北村寿央としては、対向車が前方約四メートルに接近した際、同車がそのまま進路を採つて進行するものと信頼するのが当然で、対向車が右の信頼を破り突如自車の進路に侵入した場合に、その応急措置に若干の空白時間を要したとしても右は過失とはならず、北村は無過失である。

(被控訴代理人の立証)〔略〕

(控訴代理人の立証)〔略〕

理由

昭和四〇年六月二四日午前七時五分頃、羽曳野市西浦町一三三四番地先国道一七〇号線上で、南進中の訴外(原審相被告)北村寿央の運転するダンプカー(以下事故車と略称)と、北進中の小谷寿三の運転する軽三輪貨物自動車「ミゼツト」(以下被害車と略称)とが衝突し、小谷寿三が両大腿骨折、腹腔骨盤内臓器損傷の傷害を受けて六三時間後に死亡したことは、当事者間に争いがない。

右事故の原因につき、控訴人は、事故車の運転者北村には全く過失はなく、被害車を運転した小谷寿三に対向車線侵入の過失があつたと抗弁するに対し、被控訴人は、これを争い、事故車の運転者北村が対向車線進入(右側通行)、前方注視義務違反、制限速度超過をした過失があつた旨主張するので、この点につき審按する。

を綜合すると、本件事故当時の現場状況として、本件現場の国道は二級国道で、幅員は七・四メートル、アスフアルト舗装の上、白線による中央線の表示があり、直線、平坦で、左右は農地で見透しは良好で、道路面は乾燥していたこと、現場の制限速度は四〇キロメートルであつたこと、事故車と被害車の車体は、前者は巨大、岩乗な八屯積ダンプカー後者は、軽少脆弱で安定度の低い軽三輪車で、著しい差異があり、衝突後、前者は、左前車輪を路肩より踏み出し、前のめりの形ではあるが、なお、自己の進行車線のほぼ三分の二の幅を覆うような位置で停止していたのに対し、後者は、車の右前部を大破し、進行方向の左側道路肩の部分に、道路とは逆の方角(南向き)に振り廻されたような形で停止していたこと、中央線から東へ約四〇センチメートル寄つた地点(事故車の進行車線内)から、左南方の方向へ斜めに、直線に、事故車の右車輪によるものと推測されるスリツプ痕が、少くとも一三・三メートルあり、これと並行に、左側に、同左車両のスリツプ痕が、少くとも一三・一メートルあつたことが明白に認められ、その手前のスリツプ痕の有無は、判然としなかつたこと、右側のスリツプ痕の末端は、道路中央線より約二・三五メートル左側であつたこと、被害車は、事故車より少くとも一〇〇メートル手前では、同車の進行車線のほぼ中央を走つていたこと、その後被害車は、たやすく措信し難い原審被告北村寿央の供述と、成立に争のない乙第七号証の一、三、四中の北村の説明及び供述記載を措いて、被害車自身の進行車線から、わざわざ、対向して来る事故車の進行車線へ進入した形跡がないこと、事故車の方でも、衝突地点の直前至近の位置で、さらに転把したり、ブレーキをかけた跡がないこと、前記事故車の直線をなすスリツプ痕を、同車の進行方向の手前(北方)へ、仮りに若干延長すると、当然に被害車の進行車線に入り込む形になること、(大体三メートル位手前の位置で、右前車輪が中央線上の位置に来ることが算出されるので、車体外側は更に張り出した位置となる)以上の事実が認められる。この事実に、〔証拠略〕を綜合して考察すると、衝突前の状況では、被害車が自己の進行車線の内側を北進して来たのに対し、事故車は、早朝で対向車も少く、道路も平坦で見透しも良好であつたところから、対向車が接近する相当手前までは、中央線による進行区分に拘らず、相当の高速で道路中央線を跨つて進行し、被害車が接近するに及んで、若干速度を落すと同時に、自己の進行車線に入るべく一度方向を左へ転じたが、なお、脆弱な対向車の方で自ら避譲するのを期待したものか、それ以上の措置を採らず、自車の転向措置が不完全のまま進行したため、衝突地点までには完全に事故車自身の車線に入り切らず、すれ違いの際、なお被害車の車線に車体の右端がはみ出していて、その車の右端が可なり中央線に接近して走つていた被害車との衝突を惹起したものと推認される。

控訴人は、被害車自身が、すれ違いの直前に、突然左側のネジが外れたために右傾して走行し、かつ前輪シヤフトが折れたために事故車の進行車線に進入したために衝突したと主張するけれども、被害車のネジの外れ、シヤフトの折損は、仮りに発生していたとしても、それが事故の前、しかも偶然にも、両車の離合の直前に生じたものであることを確認するに足る証拠はなく、むしろ右の欠損があつたとすれば、事故自体により生じたものと推測するのが至当で、反証がない。右控訴人の主張に副う〔証拠略〕は、〔証拠略〕によると、事故車の運転者北村の説明の通りを記載しただけのものであることが明らかで、〔証拠略〕は、いずれもたやすく措信し難いから、〔証拠略〕も信憑力を認めるに足らず、他に右認定を覆して、離合直前に被害車が事故車の進行車線に進入したことを認めるに足る資料はない。

そうすると、自己の車線を越え、対向車線に一部侵入して進行していた事故車の運転者北村としては、対向車と離合するまでに、完全に車体を自己の車線内に復せしめ、以て衝突ないし接触の危険を未然に防止する義務のあることは明白で、北村としては、対向車の接近を認めながら、右の義務を怠つて減速、転把ともに不充分であつた結果、離合地点でもなお自車を対向車の車線を一部進行せしめた点に、明白な過失があつたものといわねばならない。そうすると、控訴人の無過失の抗弁は理由がない。

そして、控訴人は、事故車の所有者で、被傭者北村をして自己の土砂運搬事業のための運行中に本件事故を生ぜしめた点は当事者間に争いがないから、控訴人は、自賠法に基き、亡小谷寿三の死亡により、同人及びその母であることに争のない被控訴人に加えた損害の賠償義務あることは明白といわねばならない。

次に被控訴人主張の損害のうち、亡小谷寿三の過失利益については、当裁判所は原審のこの点の認定を正当と認めるものであつて、その理由は、原判決一二枚目表初行より裏二行目末尾までと同一であるから、これを引用する。

控訴人は、本件事故は、相手方側即ち亡小谷寿三の過失に因るものであると主張するところ、右主張は過失相殺の主張をも含むものと解釈して、亡寿三の過失の有無につき判断するに、被害車の運転者である亡寿三としては、見透しのよい前方から、事故車が中央線を跨つて進行し来たことは、当然に早くから視認していたものと推測され、反証はないから、たとえ同車が、接近に伴い、減速、転把により、自車の進行車線へ復する行動に着手していたとしても、離合までにそれが完全に行われるか否かは疑わしい状況に在つたことも、結果より見て、また当然に推測される事態であつたというべきところ、かかる場合、亡寿三としても、進路につき違反を犯している事故車が、完全に同車の車線に復し了えない場合をも考慮し、大型な同車の車体との接触ないし衝突の危険から、自身もこれを回避すべき注意を払うべき義務あることは当然で(前記スリツプ痕の位置から見ても、被害車が今少し左方に寄り、かつ減速して離合を遅れしめていたならば、衝突ないし接触を免れる可能性もあつたというべきである)、この義務を怠つた点で、相殺すべき過失を認めるを相当とし、その割合は、事故車の過失に比し七対三と認むべきである。

よつて、前記逸失利益について、その認定額四、五四五、〇三〇円中請求額二、五七八、九三〇円に対しては、その七割に相当する金一、八〇五、二五一円を認めるを相当とする。

さらに慰藉料の請求について按ずるに、被控訴人と亡寿三(三男)との母子の関係、寿三の年令、〔証拠略〕により認められる被控訴人が寿三を女手一つで育て上げた経過事情、前認定の事故の態様等を綜合勘案すると、被控訴人の慰藉料は金一、〇〇〇、〇〇〇円を以て、相当と認める。

そうすると、控訴人は、前記逸失利益相続分及び慰藉料の合計金二、八〇五、二五一円から、損益相殺を自認する金一、〇〇〇、〇〇〇円を控除した残金一、八〇五、二五一円と、これに対する不法行為以後である昭和四〇年一二月二七日から支払ずみまで年五分の割合による損害金の支払義務あることは明白で、そのうち金一、一三六、二五七円と同右割合の損害金につき請求を認容した原判決は正当で、控訴は理由がない。

よつて、本件控訴を棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 宮川種一郎 林繁 平田浩)

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